入社後研修

►2010/09/08 23:49 

大学を卒業して新卒入社した
新入社員時代の話。
前回のつづき。


会社は住宅系設備機器のメーカーだった。
配属先はショールーム。
同期全員が建築系とは無縁の学部を卒業していた。

入社してから、一から建築の勉強を仕込まれた。
家をつくる柱一本一本の名称や、難しい建築用語、
膨大な商品の名前や特徴、
言葉遣いやマナー、3000坪以上あるばかでかいショールーム内にある
商品の展示場所と内容、
その他、プランニングに見積作成まで

覚えることはびっくりするくらいにあった。

商品の数は膨大で、電話帳サイズのカタログがいったい何冊もあるのか??
という感じだった。

覚えても覚えても、フルモデルチェンジ、マイナーチェンジ、
機種追加、など常に勉強が必要だった。

いやぁ、大学受験の時なみに勉強した。


しかし大学受験の時よりも楽しかった。
なぜ勉強しなければならないのか、
何のために覚えなければならないのか、
というのが明確だったからかもしれない。

覚えたことが即生きた知識として使えるのが楽しかった。

勉強だけでみれば苦しかったが、
助け合える同期がいたおかげでそんなに苦にならなかった。

大学受験時代に睡魔と闘いながら息苦しいほどに勉強したことに比べれば
ラクショーだった。

高校からストレートで大学へ入った子達は
久しぶりの猛勉強にとまどっていたみたいだが
私はそれほど大変には思わなかった。

どんなに大変なことがあっても、当時のことを思えば
「あれに比べれば・・」と乗り越えられた。

最近は、子供が厳しい受験戦争に立ち向かわなくていいように
中学から大学までストレートに通えるところへ入学させたり、
高校も大学もほとんどが推薦で入れる時代らしい。

根性や忍耐力を磨くというのは古い考えかもしれないが、
ひとつの経験として受験勉強に没頭するのもいいんじゃなかと思っている。

将来の世の中の流れがどうなっているかもしれにが、
姫がそれに耐えうる精神力をもってさえいれば、
チャレンジすることに賛成してもいいかなって思っている。




膨大な知識を頭にうめこむのも大変だったが、
関西地区の方言に慣れるのも結構大変だった。
当たり前の様に使っていた言葉が方言だと分かったり。


ロールプレイで、
 『こちらが先ほどのグレーよりも
ワントーンこゆくなったグレーです。』なんて言ったら、

 『こゆくなったって【濃く】なったってこと?
方言だから、ここ(関西)だと通じないかもしれないから
使わないように。』と指摘された。

入社するまで「ほうきで掃く」は、ずっと
「ほうきではわく」と言っていた。
まさか「はわく」が方言だとは思わなくて衝撃を受けたのを覚えている。





お客さんに、「これほかしとって。」と渡されたオムツ。
もちろん使用済み。

「ほかす」というのが「捨てる」だと一瞬思いつかなくて
これ・・・どうしろって言った? 保管するってこと??
でも、オムツだから捨てろってことだたのかしら??と
念ために先輩に確認したこともあった。


電子レンジを案内している時にお客さんに
『これ、つぶれたらどうなるの?』と聞かれた。

【つぶれる=ぺっしゃんこになる】と思い、
【つぶれる=故障する】とは思いつきもしなかった。

そこで自信満々で
 『つぶれる・・ですか?
つぶれるようなことはございません。』と答えてしまった。

その後のやりとりですぐ意味がわかって
故障した場合は・・・と説明したんだけど。

このショールームは大きかったので
大阪近隣だけでなく、和歌山や中国四国地方の方からも来客があった。
エリアごとに担当制があったので
全エリアを常時担当することはなかったが、
なかなか苦労した。

不思議な言葉にも遭遇した。

和歌山のお客様が、文中や最後で「しか」という言葉をくっつけて話していた。

『どっちの色がいいかしら。うん、これしかいいね。』
『うん、これしか。』
(↑もしかしたら使い方間違ってるかも。もはや記憶があやふやなもので)

「しか」って「が」ってこと?? 「しか」ってなくてもよくない?
といつも思っていた。


大阪のお客さんと京都のお客さんのカラーの違いにも驚いた。

不満あがあると
大阪のお客さんは直接文句を言ってくるが、
京都のお客さんはにっこり笑って帰り、
後日クレームを言ってきたりする。

和歌山などの田舎はびっくりするくらいの大きな家が多く、
大阪の都市部は横の幅がかなり狭い都市型3階建てが多かった。

大阪都市部はシャッターや雨戸を防犯がメインで取り付け、
近畿南部は台風対策で取り付ける。
が、北陸地方は凍り付いて開け閉め出来ないので取り付けない。


方言や県民性に地域性、本当に様々で勉強になった。




いやぁ、この時の生活を考えると、最近ほんとに頭使ってない。
特に“記憶”という作業をしていない。
ボケ防止に何かやらないとなぁ。

漢字検定でも受けてみようかなって思ってるんだけど
いきなりハードル高いかな??


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入社前研修

►2010/09/05 00:58 

ふと思い出したちょっとだけ昔の話。

大学を卒業して住宅設備関係のメーカーに就職した。

地元福岡のショールームを大規模化する為の増員ということで採用されたが、
福岡ショールームが完成するまでの1年間、
大阪のショールームで修行して戻ってくるようにとの命を受けた。


1年後には福岡へ戻るのだが、最初の赴任地が大阪なので
関西採用組に混じって研修を受けた。
大阪ショールームの同期は13人。
関西組は全部で40名くらいいた。
(いや、もっといたかな?)

入社前に田舎の研修施設で缶詰めにされ、
洗脳とも言える体育系研修を受けた。

いやぁ、あれはすごかった。
体育系というか、軍隊って感じだったかな。

早朝にグラウンドに集合。
ラジオ体操をし、会社の綱領や経営理念を大声で斉唱。
遅刻者がいようもんなら、
全員(数百人)の前で
『申し訳ありませんでした!!!』と何度も頭をさげ、
坂道ダッシュ!
まぁ、見せしめって感じだったかな。

考え抜かれたプログラムで、
最終プログラムにすべてがつながっていくという感じだった。

寝食を共にし、大浴場で裸のお付き合い。
10時過ぎまで研修に身を投じ、その後に日報を書いたり宿題があったりして
就寝時間は日々午前様。
就寝したかと思えばすぐ起床。

睡眠不足でへとへとのくせに
夜な夜などこかの部屋に集合してしゃべり倒した。
私は最後の方はおりこうさんに早く就寝してたけど。
それでも日中の研修は睡魔との闘いでもあった。

バブルの時は研修期間も長くて、
土日はバレーボール大会なんかもあったりしてたらしいが、
就職氷河期に入社した私達の時は必要最低限の日数だけだった。

今どきだとちょっと考えられない軍隊研修だったが、
ぬるぬる大学生感覚から社会人感覚に少しだけでも切り替え、
団体行動、団結、協働の意義を短期間に叩き込むには
いい荒療治だったのかもしれない。

ただ、最近はここまでのはやっていないと思われる。
私が研修を受けた5、6年後に当時の研修トレーナーに会った。
彼は
 『最近の若者は軟弱でいかんよ。
ここ数年、毎年精神を病んでしまう新入社員が結構出てしまってさ。
こちらが顔色を伺いながら研修しないといけないいんだ。』なんて言ってた。


電話応対、お辞儀の角度、名刺交換などの実務研修だけでなく、
自分の短所や長所を見つめなおしたり、
他人のいいところを探す、なんていうプログラムもあって、
これから先そんな研修を受けることもないだろうなぁとちょっと懐かしく思う。

この研修のおかげで、日常業務で接しない同期とも顔見知りになれたし、
大阪採用のショールームの同期と仲良く慣れたのはとてもよかった。
苦楽をともにすると仲良くなれるスピードがまるで違うし。

私と同様に数人の子が
福岡のショールームに1年後に戻るのを条件に関西組に入った。
私は最初の自己紹介でも
『1年後には福岡へ戻りますが・・・』という言葉を入れて話した。



その自己紹介の直後、他の組のトレーナーと話していたら、

 『え?福岡ショールーム?あれ?あの話、立ち消えになったってしらない?』

 『・・・え?ど、どういうことですか???』

 『え?知らないの?福岡ショールームが出来るって話、
無期延期になっちゃったんだよ
。』

な、・・なんですと?

 『どういうことですか? では、福岡ショールーム勤務が条件で
採用された私達は1年後どこへ・・・』

 『さぁ、そのまま大阪のショールームで働くんじゃない?』

 『えええええーーーーー??????
それってサギですーーーー!!!聞いてないです!!』

なんてギャーギャー言ってたら、

 『あのねぇ、内定が取り消しにならなかっただけ
ありがたく思え
。』と
一蹴されてしまった。



いやぁ、あの時の驚きといったら。
もうびっくりだったよ。
親にも一年で帰るね~なんて言って入社式に向かったし。

でもまぁ、ショールームの同期はみんないい人達だったし、
この不況下で雇ってもらったというだけでありがたや、と赴任地へ向かった。


そうはいいつつも、最後まで正式な告知や謝罪はなく、
たまたま耳にした福岡ショールーム建設の無期延期情報が
告知だったってこと??と

その点に関してはずっと納得がいかなくてもやもやしてたかな。


結果的に私は大阪で4年間修行をし、
福岡のショールームへ転勤という形で戻った。

最初は納得のいかないスタートだったが、
同期にも先輩にも後輩にもめぐまれ、
仕事もプライベートも楽しくてしかたがなかった。
もちろん苦しいことも沢山あったけど。
一生の友達も沢山手出来た。


思い出しついでに、入社当時の“苦楽”や“ハプニング”でも次回書いてみようかな。


つづく。




★★★ おまけ ★★★


入社研修の時に『内定が取り消されなかったただえありがたいと思え。』と
言い放ったトレーナーの発言がやっぱり納得がいかなくて、

機会がある時には当時のもやもやを吐露したが、
当時の人事課長も、3年目面接の面接官も、上司も
『ま、そうでしょう。言葉はちょっと荒いけど』くらいの
反応しかしてくれなかった。

私はただ
『入社前にお知らせ出来なくてすまなかったね。
福岡ショールームの建設が無期延期になったことは
不景気なこのご時勢、致し方がないことだったんだ。
いつになるかわからないけど
それまで大阪のショールムで頑張ってくれない?』と
一言言ってくれれば、それだけで気持ちは落ち着くはずだったのに。

このもやもやがパーっと晴れたのは入社して3年ちょっとした時のこと。
総務課長が変わり、同郷の方が着任された時のことだ。

なぜ福岡出身の子がこんなにいるのかな?大学も福岡なのに、と
興味をもって下さり、私達福岡からの上京組との面会が実現したのだ。

新しく着任されたS総務課長は
深々と頭をさげられ、それは当時のトレーナーの失言だったと
謝罪してくださった。
それはそれは感動したのを覚えている。

今さら、の話ではあったけど、嬉しかったなぁ。



このS課長、その後東京へ栄転し、上のポストまで上がられている。
うん、うん、納得。


しかし・・・
S課長の前のM課長もかなりの上のポストまで上がっているのだ。
納得いかんなぁ。

このM課長、私に
 『福岡に帰りたいっていっても、帰る場所なんてないよ。
そんなに帰りたいなら帰ればいい。もちろん退職届けだしてからね。』と言ったのだ。

ちょっと冗談じみたいい方だったけどさ。

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強烈なキャラクター

►2010/08/28 23:59 

今まで知り合った同級生や同僚、友人知人の中には、
個性的で強烈な印象を私の脳裏に焼き付けていった人が何人かいる。

その中でも、以前こんな人が・・と話題に出すと
大抵びっくりされる人がいる。

以前話の流れでその人の話を少し持ち出したら
義姉の目が点になってしまった。
まぁそれくらい驚くべきキャラクターの持ち主。

どのような人かというと・・


その人は男性。友人ではなくちょっとした知り合い。
今では会うこともないが、近況くらいは他人づてで分かる。

彼は(多分)都会生まれの都会育ちで、ハイソなものを好み、
田舎くさいものやセンスの悪いものを好まない人。
知人程度なので個人的に話し込んだりしたこともなく、
彼の内面までは詳しくはわからないが、
少しやり取りした会話で強烈なパンチを受けてしまったことがある。

当時はちょっと不快な思いをしたが、
今思うと滅多なことではお目にかれぬ人種の気がして、
むかーし昔の忘れ去られた記憶をひもといてみては
「やっぱり強烈だなぁ(笑)」と面白がっている。
今回のブログのネタにもなってるし。


個人的に話したことが少ないからネタも
そんなにあるわけでもなのだが、
やっぱり一番強烈なのは↓↓↓かな。

彼が結婚した直後にたまたま直接話す機会があり、
祝辞を述べたり感想を聞いているうちに
披露宴会場の話になった。

なぜその会場をチョイスしたのか聞いてみた。
私は、「会場の雰囲気が気に入った」とか
「新婦が気に入った」とか「会場担当者と意気投合したから」など
普通の返答を待っていたのだが、帰ってきた答えはコレ↓

 『うーん、やっぱ俺くらいのレベルともなれば
 これくらいのところじゃないと。
 だってさ、ここがこのあたりで一番ランクが上でしょ?

とサラっと言われてしまった。


私は、グレードで言うなら○○ホテルの方が上な気がするけど・・という
突っ込みをぐっとこらえた。彼の慶事だったし。

その後、

 『そういえば、もろあいさんはどこで披露宴あげたんだっけ。』と言われ、

 『★★★(ホテル名)』で答えると、

 『あぁ、★★★ね。うん、悪くはないね。』

あの・・・ちょと気分悪いんですけど??


今まで、何でも「俺(様)が」「俺(様)が」とい人は何人かいたが、
「俺(様)くらいのレベルともなると・・」なんて言い放った人は彼のみ。

何でも自分のレベルに釣り合うとか釣り合わないとかいう基準で
選択してきたのかしら??
ということは嫁さんも???

奥様大変だわぁ~。








★★★おまけ★★★



でもね、でもね、その奥様も実は似たものだったりするのよ。(コソッ)
実は、彼の奥様のことも知っていたりして。


彼女は資産家のお嬢様。

私が以前実家の古い車を運転するのを見て
 『私だったらそんな車運転できないわ。』と言い放ったらしい。

どうやらそれは私が直接言われたらしいが
さーーーっぱり覚えていないのだ。不思議なことに。

それを妹が覚えていて、
 『そういばさ、「そんな(古くてダサイ)車、私だったら運転できないわって言われた!」って
当時、お姉ちゃんボロクソに憤慨してたよね。私覚えてるわぁ。』と教えてくれた。

え?そんなこと言われたっけ??
やっぱり思い出せない。
でも妹が覚えているのだから事実の様だ。


彼曰く、彼女を好きなった理由は「価値観が合うから」だとか。


彼女と合う価値観って????







****お詫び****

今回は人の悪口の様な内容でした。
不快になられたとしたら申し訳ございません。

次回からはもっと明るいネタで行きます!



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始まりは渡り廊下から

►2009/06/10 23:59 

中学3年の時までさかのぼる、かなーり昔の話。

中学の頃、女の子同士で文通(交換日記)が流行っていた。
ノートや、ルーズリーフの切れ端に
たわいもないことをかいては交換していた。

当時私は3人くらいの子と文通をしていたが、
中には10冊くらい同時並行でやっている子もいた。

相手はクラスが離れてしまって
なかなかおしゃべりが出来なくなったから・・・ではなく、
クラスでも部活でも行き帰りも一緒な子と
日記を交わしたりもしていた。

ノートが重なると、宿題そっちのけで書いてたりして、
今考えると変なことに労力を使ってたものだ・・なんて
大人的な考え方をしてしまうが、当時はとても大事なことだった。

将来、姫が勉強中に携帯メールをしていても
責められないなぁと思う。

それから、当時は同級生とだけではなく、
上級生や下級生との交換日記も流行っていた。

これには暗黙のルールがいくつかあった。

◆基本的には1対1。

◆上級生が声をかけ、下級生がオッケーサインを出して
交換日記のやりとりが開始するが、下級生は断れない。
断れるのは、「既に他の先輩と文通しているので・・・」と言える場合のみ。

◆文通のやりとりは、上級生が下級生のもとまで行って行う。


他にもあったかもしれないが、こんなものかな。


当時なんで下級生との文通が流行っていたかというと、
≪卒業式に個人的に花束をもらうため

最初は卒業式の花束が欲しいという理由で
始める文通っていうのもねぇ・・・ と思っていたので
私は下級生との文通を考えていなかった。

しかし、まわりの子達ほとんどが
下級生と文通を始めたのをみてたら、
「おそばせながら、私も・・・・」という気になってしまった。

・・・が、文通相手の下級生探しは
はっきりいって争奪戦。

かわいい子はどんどん文通相手が決まっていく。

基本的には1対1で、学年が違えど女子の数はかわらないもんだから、
残っている下級生はほとんどいない。

それを承知で数人に声をかけてみたが、
皆『既に他の先輩と文通をしているので・・・』と言われてしまった。

ま、私はいいや。。と思っていたとき、

前から我校の制服ではない制服に身を包んだ子が
渡り廊下の向こうからやってくるのが見えた。

 !!!!あれは転校生に違いない。
転校生=文通相手がいないはず!と思い、

見かけた瞬間に

 『ね、誰かと文通してる?』

 『・・・????』

 『私と文通しない?』

 『え??・・・・・・は、はい。』

 『やった~

と、交渉成立。

今考えても、この瞬間は彼女は
私に圧倒されて「なんなんだ????」という状態だったと思う。


その後1年文通を続け、卒業式には
マーガレットの素敵な花束をもらった。

他の同級生達はこの卒業を機に
後輩との縁も切れていたようだが、
私達はその後も連絡を取り続け、
現在はママ友にまでなっている。

別々の県の大学に入り、就職も関東と関西とで違ったり、
私達はずっと違うところに住んでいたが、
今でも連絡が途絶えず付き合ってこられたのは
彼女がとってもマメだったからだ。

まさかお互いの子供を連れて
遊べるなんて、当時は思いもしなかった。

すごい縁だなって思う。

これからもよろしくねazちゃん^^

今回はむかーしむかしの思い出話でした。

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就職活動

►2009/03/23 10:50 

コンビニで買い物をしていたら、隣の学生達の会話から
≪シュウカツ≫という言葉が聞こえてきた。

一瞬、シュウカツ?と思ったが
すぐ『あぁ、就活(就職活動)ね。』と思い出した。

すぐピンとこないくらいに、就活は遠い昔の話。
大学卒業して一つの会社でずっと働いていたので
就活は一度しかしたことがない。

私が就活をしたのは【就職氷河期】と言われた時代だった。

それから、アナログ的な就活の最後の世代だったんじゃないかな。



大学3年の秋くらいから、どこをどうやって調べたのか、
リクルートとかいろんな会社から
企業紹介や求人情報などが載った
分厚い雑誌が沢山入ったダンボールが何箱も届いた。

卒業までまだ先なのにもう活動しなきゃダメなわけ??と思いながら、
3年の1月くらいからハガキを出したりし始めた。

当時はまだインターネットが出始めの時で、
インターネットで一括エントリーなんてことは出来なかった。

基本は雑誌の巻末ハガキに必要事項を書き込んで
企業に送って資料請求していた。

自分の中で希望順位の高い企業には
官製ハガキに手書きで書いて送った。
【わたくしは○○大学○○学部○○学科のもろあいと申します・・・
御社の○○に・・・・ナンタラカンタラ・・
つきしては、御社の会社資料をナンタラカンタラ・・・】
とまぁこんな感じ。

巻末ハガキと手作りハガキ、
企業に出したハガキの総数、なんと300近く!

そして送られてきた資料はその10分の1
30くらい。

しかも、そのうち、まともな(?)企業案内や
企業説明会のお知らせが入っていたのはさらにその半分

厳しかったなぁ~。

今すごく不景気だから、今の学生も同じくらい
いや、それ以上に厳しいのかな。

往復3000円くらいかけて出向いた会社説明会で
最後の最後で
 『実は・・・今年度の女性採用の予定はないんです。
  ただし、私は男性並に働けます!という意気込みの方は
  採用の可能性もあります。』と言われたこともあった。

この会社は、建築関係。女性が男性と同様に
現場で建築資材を担いで仕事が出来るわけがない。
事実上の<女性不採用>を宣告されたも同然だった。

会場の6割が女性だった。
帰りは『時間と交通費返せー』と
ブーブーいいながら帰ったのを覚えている。

中には、絶対将来あなたの会社ではものを買いません!と
心に誓うほどの対応を受けた会社もあった。

まぁ、そんな苦労も7月には報われ就活も終わったんだけど。

就活中、私らしい“うっかり”はもちろん多々やらかしました(苦笑)

つづく・・・・。

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そろそろサヨナラ(処分)しようかな。

►2009/01/22 23:31 

その昔、チェッカーズが好きだった。
(皆さん、もちろんご存知よね??)
いやぁ、ハマったなぁ。

中学校の時は特にチェッカーズ一色だった。

もちろんファンクラブには入っていたし、
今までの人生、
あんなに一生懸命になって夢中になったものは他にないかも。

下敷の間に雑誌の切り抜きとか
カードのようなものを挟んだり、
そうそう、生徒手帳にも写真を挟んでたな。

今の子達もこんなことしてるのかしら。
生徒手帳じゃなくて、
携帯の待ち受け画面にするんだろうな。

休日は朝から晩までずーーーーっと
チェッカーズのCDを聞いていた。
半分ぐらいはカセットだったかな。

今だったら、2回くらい聞いたらもう飽きるのに、
飽きずにひたすら聞いていた。

高校は片道1時間ちょっとかかったが、
その行き帰りもひたすらチェッカーズを聞いていた。

午前1時からの
フミヤのオールナイトニッポンを布団の中で
クックック・・・と笑いながら聞いたりしていた。

当時の私にとって午前1時というのは真夜中で、
目覚ましをつけてもなかなか起きられず
聞き逃したことが多々あったが、
録音したテープは擦り切れるほどによく聞いた。

ラジオの録音なんて一度聞けばオチもわかっているはずなのに、
何回聞いても同じところで笑えた。

それだけの集中力というか持続力を
勉学にむけていれば・・・・

というのは完全にオトナの考えだな。

コンサートのパンフやポスター、
膨大な量の雑誌の切り抜きやグッズ
どこの時点で処分したかはわからないが、
現在手元にあるのはCDのみ。

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今まで何度か処分しようかな、とは思ったが
結局“思ひ出”の品として捨てきれずにいた。

今回はどういうわけか
後ろ髪ひかれるものがなかったので、
今が「捨て時」なのかなと思い、
サヨナラすることにした。

姫も、将来こんな風にハマるアイドルなんか出てくるのかなぁ~。



話は変わって、最近韓流ドラマをよく見る。
BSを含めると、どのチャンネルでもやってる。

特に字幕を選んで見ている。

それだったら、姫が横でガチャガチャいっていても、
家事をしながらでも見られるからだ。

ハリウッド俳優だと、ブラッドピット、トムクルーズなんかが私好み

しかし、映画を見ても<素敵>と思う程度。

チェッカーズに夢中だったあの頃でも
『将来はフミヤのお嫁さんになる!』なんて考えたこともなかった。

それなのに、それなのに・・・・!


 『あぁ、こんな人が彼氏だったらなぁ。
 背も高いしなぁ。かっこいいなぁ。』とか

ヒロインになりきって
 『将来、こんな人と結婚したいわ。』

・・・・とかふと思ったりするのだ。


旦那もいて、子供までいるくせに。


私もヨン様~と韓国ツアーに出かける
世の中のおばさま達と同類項?

ちとヤバイかな。

しまえとーかいなぁ。(※)


※・・・博多弁  しまえてる→終えてる→終わってる

「しまえとーかいなぁ。」→「終わってるかな」


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話題

►2008/11/20 14:13 

年齢にもよるが、
友達との話題に一番何があがるかといえば、
他人がどうかはわからないが、
まぁ、似たり寄ったりだと思う。

中学校時代
好きなアイドルとか好きな男の子の話が多かった。

他に何の話をしたかはさっぱり覚えていない。
他の話と言っても、世界も狭かったので
先生や先輩、後輩の話くらいで、
女の子同士で行っていた交換日記の話題も
好きな男の子の話題が大半を占めていた気がする。

交換日記・・・う~ん、昭和のかおりがする。

勉強の話とかしたかな、
いや、してない気がする。

英語のテスト、何点だった?
志望校はどこにする?
昨日は勉強どれくらいした?

くらいは話した覚えはあるが。


高校時代は・・・・

スキンケアの話、ダイエットの話は結構したかな。
あと、どこのお菓子が美味しいとか。

お金がないので、どこのケーキが美味しいとかじゃなくて、
グリコの○○が美味しいとかそんな感じ。

女子高だったので、男の子話題はほとんどしなかった。
男の子の話よりは先生の方が話題にのぼった。

私が高校の時は女子大生ブームだったので(多分)
世間的にそんなに注目されていなかった気がする。

ルーズソックスという名前も浸透していなくて、
先生も『靴下はちゃんと伸ばして履け。
たるみを帯びる吐き方はだらしがない。』と言っていた。

中学以上に何が話題に上っていたのかさっぱり覚えていない。


大学になったら、
バイトの話、サークルの話、ゼミの話、
自分の昔話、好きな人の話、
将来(就職)の話と話題の幅はぐーんと広がった。

学校内よりは誰かの家で話すことの方が多くなり、
夜中まで語り合ったりした。

『今日は朝まで語り合おう。』だなんて、
今じゃ考えもしない。

眠いし。

っていうか、朝まで起きていられない。

若かったな・・・。


社会人になったら、
職場の同僚とだったら仕事の話、職場の話、同僚の話、
学生時代の友人だったら当時の話でもりあがり、

上記の話の他は、コスメ、ファッション、旅行、結婚のことなど
話題には事欠かなかった。

将来どんな人と結婚したいか、なんかはいつでも盛り上がれる話題だった。



振り返ると、いつの世代においても、
好きな男の子の話でもりあがっていたのがわかる。

私は母や妹達と何でも話すほうで、
私の友人の名前もかなりの数知っていると思う。

しかし、恋の相談はしたことがない。
しようと思ったこともない。

日々秘密裏にすました顔してすごしていた。

普通、親に恋の相談なんてする人は
マレだというのが私の認識だった。


最近韓国ドラマをよく見るのだが、
母娘の結びつきが強烈で、
娘は何でも報告して相談をもちかけ、
母はいろいろとアドバイスをする。

そして、娘もなるほど、とソレを実行してその結果を報告する。

韓国ってすごーい、と思っていたが、
今の若い子達もそうなのかしらん。

お友達みたいな母娘って多いみたいだし。


さて、さて、姫はお年頃になって
恋の相談をもちかけてくれるかしら~

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偶然

►2008/09/21 23:23 

先日、近くのモールに車で買い物に行った。
泊めたのは大型駐車場。

車をとめて横を見たら、見慣れた車が。
妹(三女M)の車と同じ車種で色も同じだな~と思って

 『もしかしてMの車だったりして~。』と
よーく見たら初心者マークが。(Mはまだ初心者)

ますますあやしい(←?)

やっぱりMの車かな?とも思ったが、
ナンバープレートまでは覚えてなかったので

『まさかね~。』と目的のお買い物へ。

それでもやっぱり気になったのでMへ電話。


すると、やっぱり隣にとめてあった車は妹の車であったことが判明。
しかも、電話に出た妹は電話をしていた私のかなり近くにいた。

ものすごい数の車があったのに、偶然にも隣にとめるだなんて。

なんて偶然



実は、私はこういう偶然が結構ある。

 大学の卒業旅行で、
イタリアで偶然サークルの友人にバッタリ遭遇。

しかもツアー中、2度も。

 香港だったかどっかから関空に戻る飛行機の中で、知人と乗り合わせた。

 社会人3年目か4年目くらいの時、
ディズニーランドで大学(九州の大学)の後輩にバッタリ遭遇。

 大阪に住んでいた時、福岡へ帰省するのに
伊丹→福岡は飛行機、 博多→新大阪は新幹線に乗った。
で、隣に座った人がなんと!同じ人だったのだ。

これこそ運命!と言いたいところだが、隣り合わせたのは
おしゃべり好きな関西のおばさん。


結構こういう偶然があるもんで、
大阪に住んでいた時は、ひそかに
 『道頓堀あたりで人にぶつかって、実はその人がイチローだった!!
なんてことがあったらいいなぁ~

とバカみたいなことを結構真面目に想像(妄想)したりしていた。

うん、ほんとにアホやったなぁ。


で、この妄想癖、いまだに治ってない(笑)

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生き物の世話

►2008/06/03 00:46 

ただ今、生後6週間の赤ちゃんを抱え子育て奮闘中。

が飼いたい犬が飼いたいと言っていた旦那も、
最近はそんなに言わなくなってきた。

赤ちゃん一人で手一杯というところ。


実は私は今まで犬や猫を飼ったことがない。
ずっとアパートやマンション暮らしだったので
飼えないでいた。

・・・というよりは、もともと生き物を飼いたいという思いはあまりなく、
『猫(犬)が飼いたい!』とねだった覚えもない。

飼ったことがあるといえば、
縁日かなんかですくった金魚くらいかな。

しかし、その金魚もすぐに死なせてしまった。

その時のことを書こうかな。

それは小学校2年生くらいの時。
縁日ですくった・・・っていっても、
自分ではすくえなくてサービスでもらったやつだけど。

家に持ち帰って、洗面器に入れた。

ぶくぶくと酸素を入れる機械はなかったので、
洗面器でそのまま飼う事になった。

水道水では酸素不足だから(←はっきりとした理由は忘れた)
太陽の光をあてた水を使用するといいと言われた。

最初は、別の洗面器かなにかに水を入れ、
太陽の光をあて、その水に金魚を移していた。

金魚は手ですくって移していたが
それもだんだん面倒になり、

もともと金魚が入っていた洗面器から少しずつ水を捨て、
最後に残った少しの水と金魚を新しい洗面器に移しかえていた。

・・・・・しかし、まだまだ不器用な小学2年生。
洗面器から少しずつ水を捨てている時、
一緒に金魚も排水口へ捨ててしまったのだ・・・

ごめんよー金魚ちゃん


↑これは一匹目の金魚ちゃん。


最初は珍しさも手伝って毎日水を換えてあげていたが、
だんだん面倒になり、2,3日にいっぺんになってきた。

そして、太陽に水をさらす、という行為がとても面倒になり、
 『そうだ 直接洗面器を外に置けばいいんだ。』
なんとも浅はかなことを思いつき、

金魚がはいったままの洗面器を
直射日光があたるところに
置いてしまったのだ。


・・・・しかも、置いたことをわすれてしまい・・・


洗面器の水は蒸発してしまい、
金魚はひからびていました・・・。



あぁ、なんて残酷な私。


確か、その頃まりもを買ってジャムの瓶にいれていて、
これも水を換えなくて腐らせちゃったっけ・・。

切花も植木もいまいち長持ちさせきらない私。

ということで、私には生き物を飼う資格はない。

生き物自体から『おなかすいたー。』とかアプローチがないと
ダメみたい。


そんな私だが只今子育て奮闘中。

だ、大丈夫かな

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変な規則 <高校編②>

►2007/09/01 18:12 

先日高校時代の変な校則を記事として載せた。

髪型以外で思い出した校則を書いてみることにした。

髪型にはいちいちこまかぁーーーーい規定があったが、
他も結構厳しかった。

マフラーは紺かグレーか黒の無地。
首に巻いたあと、マフラーの両端はコートの中に入れ込むこと。
リボン結びなどは不可。


マフラーの巻き方まで指定されるのだから、たまったもんじゃない。
首のところでリボン結びするのがかわいいに決まってる。
おじさんじゃないんだから!なんて思いながら
ブツブツ言っていたのを思い出す。
学校から少し離れたら、結びなおす、という面倒なことをしていた。

傘は黒か紺の無地。ライン・ワンポイント・柄は不可。

最後の方は、傘を失くしすぎて
傘なんてどうでもよくなっていたが、
最初の方は、無地でも、さしたときにいかに
シルエットがかわいいかを考えながら購入していた。

傘といえば・・。

学校指定の折りたたみ傘があって、入学時に購入した。
傘の持ち手のところにフルネームを彫ってもらったものだった。

『こりゃ、失くしたら恥ずかしいぞ。』と思ったからか、
高校1年の間に13本もなくした私も
この折りたたみ傘だけは3年間失くさなかった。

靴下は白。ワンポイント可。

私の時代、まだルーズソックスという言葉がまだなかったが、
やや長めの靴下が流行っていた。
それを、ややくしゃっとシワを寄せて履くのがいいとされていた。

ワンポイントではラルフローレンが流行っていた気がする。

靴下なんて、白でワンポイントであることを守っていれば
何も文句なんて言われないかと思いきや、
靴下の長さまで結構注意されたりした。

最終的に、私の2学年下くらいから靴下も学校指定になったと
聞いたような、そうでないような・・。

なんだか長くなったので続きはまた今度
気が向いたときに・・。

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