入社前研修

►2010/09/05 00:58 

ふと思い出したちょっとだけ昔の話。

大学を卒業して住宅設備関係のメーカーに就職した。

地元福岡のショールームを大規模化する為の増員ということで採用されたが、
福岡ショールームが完成するまでの1年間、
大阪のショールームで修行して戻ってくるようにとの命を受けた。


1年後には福岡へ戻るのだが、最初の赴任地が大阪なので
関西採用組に混じって研修を受けた。
大阪ショールームの同期は13人。
関西組は全部で40名くらいいた。
(いや、もっといたかな?)

入社前に田舎の研修施設で缶詰めにされ、
洗脳とも言える体育系研修を受けた。

いやぁ、あれはすごかった。
体育系というか、軍隊って感じだったかな。

早朝にグラウンドに集合。
ラジオ体操をし、会社の綱領や経営理念を大声で斉唱。
遅刻者がいようもんなら、
全員(数百人)の前で
『申し訳ありませんでした!!!』と何度も頭をさげ、
坂道ダッシュ!
まぁ、見せしめって感じだったかな。

考え抜かれたプログラムで、
最終プログラムにすべてがつながっていくという感じだった。

寝食を共にし、大浴場で裸のお付き合い。
10時過ぎまで研修に身を投じ、その後に日報を書いたり宿題があったりして
就寝時間は日々午前様。
就寝したかと思えばすぐ起床。

睡眠不足でへとへとのくせに
夜な夜などこかの部屋に集合してしゃべり倒した。
私は最後の方はおりこうさんに早く就寝してたけど。
それでも日中の研修は睡魔との闘いでもあった。

バブルの時は研修期間も長くて、
土日はバレーボール大会なんかもあったりしてたらしいが、
就職氷河期に入社した私達の時は必要最低限の日数だけだった。

今どきだとちょっと考えられない軍隊研修だったが、
ぬるぬる大学生感覚から社会人感覚に少しだけでも切り替え、
団体行動、団結、協働の意義を短期間に叩き込むには
いい荒療治だったのかもしれない。

ただ、最近はここまでのはやっていないと思われる。
私が研修を受けた5、6年後に当時の研修トレーナーに会った。
彼は
 『最近の若者は軟弱でいかんよ。
ここ数年、毎年精神を病んでしまう新入社員が結構出てしまってさ。
こちらが顔色を伺いながら研修しないといけないいんだ。』なんて言ってた。


電話応対、お辞儀の角度、名刺交換などの実務研修だけでなく、
自分の短所や長所を見つめなおしたり、
他人のいいところを探す、なんていうプログラムもあって、
これから先そんな研修を受けることもないだろうなぁとちょっと懐かしく思う。

この研修のおかげで、日常業務で接しない同期とも顔見知りになれたし、
大阪採用のショールームの同期と仲良く慣れたのはとてもよかった。
苦楽をともにすると仲良くなれるスピードがまるで違うし。

私と同様に数人の子が
福岡のショールームに1年後に戻るのを条件に関西組に入った。
私は最初の自己紹介でも
『1年後には福岡へ戻りますが・・・』という言葉を入れて話した。



その自己紹介の直後、他の組のトレーナーと話していたら、

 『え?福岡ショールーム?あれ?あの話、立ち消えになったってしらない?』

 『・・・え?ど、どういうことですか???』

 『え?知らないの?福岡ショールームが出来るって話、
無期延期になっちゃったんだよ
。』

な、・・なんですと?

 『どういうことですか? では、福岡ショールーム勤務が条件で
採用された私達は1年後どこへ・・・』

 『さぁ、そのまま大阪のショールームで働くんじゃない?』

 『えええええーーーーー??????
それってサギですーーーー!!!聞いてないです!!』

なんてギャーギャー言ってたら、

 『あのねぇ、内定が取り消しにならなかっただけ
ありがたく思え
。』と
一蹴されてしまった。



いやぁ、あの時の驚きといったら。
もうびっくりだったよ。
親にも一年で帰るね~なんて言って入社式に向かったし。

でもまぁ、ショールームの同期はみんないい人達だったし、
この不況下で雇ってもらったというだけでありがたや、と赴任地へ向かった。


そうはいいつつも、最後まで正式な告知や謝罪はなく、
たまたま耳にした福岡ショールーム建設の無期延期情報が
告知だったってこと??と

その点に関してはずっと納得がいかなくてもやもやしてたかな。


結果的に私は大阪で4年間修行をし、
福岡のショールームへ転勤という形で戻った。

最初は納得のいかないスタートだったが、
同期にも先輩にも後輩にもめぐまれ、
仕事もプライベートも楽しくてしかたがなかった。
もちろん苦しいことも沢山あったけど。
一生の友達も沢山手出来た。


思い出しついでに、入社当時の“苦楽”や“ハプニング”でも次回書いてみようかな。


つづく。




★★★ おまけ ★★★


入社研修の時に『内定が取り消されなかったただえありがたいと思え。』と
言い放ったトレーナーの発言がやっぱり納得がいかなくて、

機会がある時には当時のもやもやを吐露したが、
当時の人事課長も、3年目面接の面接官も、上司も
『ま、そうでしょう。言葉はちょっと荒いけど』くらいの
反応しかしてくれなかった。

私はただ
『入社前にお知らせ出来なくてすまなかったね。
福岡ショールームの建設が無期延期になったことは
不景気なこのご時勢、致し方がないことだったんだ。
いつになるかわからないけど
それまで大阪のショールムで頑張ってくれない?』と
一言言ってくれれば、それだけで気持ちは落ち着くはずだったのに。

このもやもやがパーっと晴れたのは入社して3年ちょっとした時のこと。
総務課長が変わり、同郷の方が着任された時のことだ。

なぜ福岡出身の子がこんなにいるのかな?大学も福岡なのに、と
興味をもって下さり、私達福岡からの上京組との面会が実現したのだ。

新しく着任されたS総務課長は
深々と頭をさげられ、それは当時のトレーナーの失言だったと
謝罪してくださった。
それはそれは感動したのを覚えている。

今さら、の話ではあったけど、嬉しかったなぁ。



このS課長、その後東京へ栄転し、上のポストまで上がられている。
うん、うん、納得。


しかし・・・
S課長の前のM課長もかなりの上のポストまで上がっているのだ。
納得いかんなぁ。

このM課長、私に
 『福岡に帰りたいっていっても、帰る場所なんてないよ。
そんなに帰りたいなら帰ればいい。もちろん退職届けだしてからね。』と言ったのだ。

ちょっと冗談じみたいい方だったけどさ。

テーマ : なんとなく書きたいこと。。 - ジャンル : 日記

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コメント

そうだったんだね…(T_T)


No:2488 2010/09/06 18:49 | ゆー #-URL[ 編集 ]

ゆー さんへ

M元課長にもS元課長にもふみよちゃんの結婚式であったんだけど、M元課長の前でS元課長に当時の感謝の気持ちをななちゃんと伝えたんだ。
M元課長はちょっといづらそうだったかな。
ちょっとスッキリしたよ。



No:2489 2010/09/06 21:23 | もろあい #-URL[ 編集 ]

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